心不全に利尿薬は使われなくなるのか?
TRANSFORM-HFという大規模臨床試験がJAMA今週号に発表されました。

私が循環器病棟で働いているときは、心不全の患者さんが来ると「ラシックス1筒1iv(静脈注射のこと)」などと得意になって指示していましたが、その後の様々な臨床研究で「フロセミド(ラシックスの一般名。利尿薬)は、症状を和らげる(mitigate)するものの根治させるもの(obviate)とはならない。利尿薬投与によって血管収縮をきたすため、高用量の利尿薬投与は死亡率を増加させる一因となりうる」と結論されています。

現在、心不全治療に用いられている①サクビトリル/バルサルタン:アンギオテンシン拮抗薬とネプリライシン受容体阻害薬(ANP分解を抑制し利尿作用を有する薬)②SGLT2:ダパグリフロジン(フォシーガ:ブリストル・マイヤーズ製造、小野薬品販売)やエンパグリフロジン(ジャディアンス:ベーリンガーインゲルハイム)が、利尿剤使用量を減少させるとともに心不全入院および生存率を改善させると報告されており、2022年のAHA(米国順循環器学会)のガイドラインに示されています。

2022  AHA/ACC/HFSA guideline for the management of heart failure: a report of the American College of Cardiology/American Heart Association joint committee on clinical practice guidelines.   Circulation. 2022;145(18):e89-e1032. doi:10.1161/CIR.0000000000001063

これまでの小規模な臨床研究では、9ヶ月の観察により、フロセミドと比較してトルセミド(商品名ルプラック:田辺三菱製薬製造販売)が、死亡率を50%減少させることが示されていました。

今回のTRANSFORM-HF trialは、2859人、米国の60施設で施行された実臨床研究(pragumatic trial)ですが、30ヶ月の観察で心不全による入院率および死亡率は両薬剤で有意差を認めませんでした。

実臨床試験は非盲検試験ですが、実際の臨床で生じた疑問(clinical qustion)を解決するためにデザインされたものであり、対象患者条件が厳しくないため、交絡因子が結果に影響を与えている可能性はあります。今後は「フロセミドかトルセミドのどちらを使用するか」を迷う必要はなくなりそうです。


2021年版のESC(欧州心臓病学会会議)の急性・慢性心不全診療ガイドラインによれば、左室駆出率40%以下の心不全(HFrEF)の治療アルゴリズムで、①ACE阻害薬またはARNI(サクビトリルバルサルタン)、②β遮断薬、③MRA(ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬)、④ダパグリフロジンまたはエンパグリフロジン、続いて⑤体液貯留改善目的でのループ利尿薬が、全ての患者に投与すべき薬剤と位置付けられました。

実臨床において利尿薬が心不全患者のQOLを改善させる(呼吸苦や浮腫に有効)ことは明らかで、心不全の治療に使われなくなることはなさそうです。

2023.01.24 08:41 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 診断治療
その45 日本式ウェルビーイング
今回は新聞や報道で盛んに登場する「ウェルビーイング」について考えてみましょう。

1948年に設立された世界保健機関(WHO)の憲章のトップには
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

「健康とは、病気ではないとか弱っていないと言うことではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、全てが満たされた状態にあること」と定義されました。ここでは「健康=ウェルビーイング」と言えるでしょう。

一方で、2017年世界医師会総会における医の倫理規定で「患者の健康とウェルビーイングを第一とする」と宣言されました(ジュネーブ宣言)。ここでの健康とは「肉体的・精神的疾患がない」、ウェルビーイング(狭義)とは「疾患があったとしても患者の心が満たされた状態」を示します。言い換えれば「医師は病気を治すだけではなく、患者の心に寄り添うこと」です。

ウェルビーイングは直訳どおり「良い状態でいる」ということですが、さらに客観的ウェルビーイングと主観的ウェルビーイングに分けられます。前者は、食事、教育、衛生環境、信用、地位などが得られている状態、後者は個人の満足度、幸福度、安心感などが指標になります。

前述のとおり、ウェルビーイングという言葉はWHO誕生とともに登場していますが、20世紀終わりから特に注目されるようになりました。1999年米国心理学会の会頭挨拶において、ペンシルバニア大学のMartin E. P. Seligmanは、ポジティブ心理学の推進を提唱しました。これまでの心理学は「不安、恐怖、怒り、落ち込み」など陰性感情の診断および治療が研究対象になっていましたが「勇気、希望、達成感、楽観性」などの陽性感情に焦点を当てたのがポジティブ心理学です。

Seligmanは学習性無力感(learned helplessness)を研究していました。人や動物は、長期間ストレスフルな環境に置かれると、行動する前に「何をしても無駄だ」と考えて、回避行動をとらなくなることがあります。そこで、敢えて行動を取ることがモチベーションを高めることにつながると考えたのです。

人は以下の5つの要素を満たしていると幸せである、とするもので、頭文字をとって「PERMA」と呼ばれています。
Positive Emotion(ポジティブな感情)
Engagement(何かへの没頭)
Relationship(人との良い関係)
Meaning and Purpose(人生の意義や目的)
Achievement/ Accomplish(達成)

具体的には、ギャロップ社が定義した5つの要素があります。
Career Wellbeing:仕事に限らず、自分で選択したキャリアの幸せ
Social Wellbeing:どれだけ人と良い関係を築けるか
Financial Wellbeing:経済的に満足できているか
Physical Wellbeing:心身ともに健康であるか
Community Wellbeing:地域社会とのつながっているか

などといろいろと並べられています。

精神科治療においてBook Review Dialog という手法があります。患者が選んだ本をもとに医師と対話をするものです。先日私はある患者から一冊の本を紹介されました。その本によれば「ウェルビーイングの定義は国や文化、個人によって異なる。日本人に適したウェルビーイングの考え方は、幸せのために何かをする(well-doing)必要はなく、ただいるだけ(well-being)でいい」という内容です。「自分で選択して、決定することの積み重ねが幸せにつながる。もっと上を目指すのではなく、毎日を積み重ね奥を極めよう」という考え方に溜飲が下がる思いがしました。

昨日NHKテレビで、春場所優勝を飾った三兄弟力士の若隆景が「上を目指している時は全然だめでした。今場所は毎日の稽古に専念しました」と話していました。まさにこれが「日本式ウェルビーイング」だと思いました。

日々の診療においても、患者さん一人ひとりのウェルビーイングを意識して、病気を治すだけでなく、幸せな気持ちでクリニックを後にしてもらうように心がけています。

以上です。

参考図書
むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました: 日本文化から読み解く幸せのカタチ (2022) 石川善樹/吉田尚記
2023.01.13 09:40 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 健康一口メモ

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