その45 日本式ウェルビーイング
今回は新聞や報道で盛んに登場する「ウェルビーイング」について考えてみましょう。

1948年に設立された世界保健機関(WHO)の憲章のトップには
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

「健康とは、病気ではないとか弱っていないと言うことではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、全てが満たされた状態にあること」と定義されました。ここでは「健康=ウェルビーイング」と言えるでしょう。

一方で、2017年世界医師会総会における医の倫理規定で「患者の健康とウェルビーイングを第一とする」と宣言されました(ジュネーブ宣言)。ここでの健康とは「肉体的・精神的疾患がない」、ウェルビーイング(狭義)とは「疾患があったとしても患者の心が満たされた状態」を示します。言い換えれば「医師は病気を治すだけではなく、患者の心に寄り添うこと」です。

ウェルビーイングは直訳どおり「良い状態でいる」ということですが、さらに客観的ウェルビーイングと主観的ウェルビーイングに分けられます。前者は、食事、教育、衛生環境、信用、地位などが得られている状態、後者は個人の満足度、幸福度、安心感などが指標になります。

前述のとおり、ウェルビーイングという言葉はWHO誕生とともに登場していますが、20世紀終わりから特に注目されるようになりました。1999年米国心理学会の会頭挨拶において、ペンシルバニア大学のMartin E. P. Seligmanは、ポジティブ心理学の推進を提唱しました。これまでの心理学は「不安、恐怖、怒り、落ち込み」など陰性感情の診断および治療が研究対象になっていましたが「勇気、希望、達成感、楽観性」などの陽性感情に焦点を当てたのがポジティブ心理学です。

Seligmanは学習性無力感(learned helplessness)を研究していました。人や動物は、長期間ストレスフルな環境に置かれると、行動する前に「何をしても無駄だ」と考えて、回避行動をとらなくなることがあります。そこで、敢えて行動を取ることがモチベーションを高めることにつながると考えたのです。

人は以下の5つの要素を満たしていると幸せである、とするもので、頭文字をとって「PERMA」と呼ばれています。
Positive Emotion(ポジティブな感情)
Engagement(何かへの没頭)
Relationship(人との良い関係)
Meaning and Purpose(人生の意義や目的)
Achievement/ Accomplish(達成)

具体的には、ギャロップ社が定義した5つの要素があります。
Career Wellbeing:仕事に限らず、自分で選択したキャリアの幸せ
Social Wellbeing:どれだけ人と良い関係を築けるか
Financial Wellbeing:経済的に満足できているか
Physical Wellbeing:心身ともに健康であるか
Community Wellbeing:地域社会とのつながっているか

などといろいろと並べられています。

精神科治療においてBook Review Dialog という手法があります。患者が選んだ本をもとに医師と対話をするものです。先日私はある患者から一冊の本を紹介されました。その本によれば「ウェルビーイングの定義は国や文化、個人によって異なる。日本人に適したウェルビーイングの考え方は、幸せのために何かをする(well-doing)必要はなく、ただいるだけ(well-being)でいい」という内容です。「自分で選択して、決定することの積み重ねが幸せにつながる。もっと上を目指すのではなく、毎日を積み重ね奥を極めよう」という考え方に溜飲が下がる思いがしました。

昨日NHKテレビで、春場所優勝を飾った三兄弟力士の若隆景が「上を目指している時は全然だめでした。今場所は毎日の稽古に専念しました」と話していました。まさにこれが「日本式ウェルビーイング」だと思いました。

日々の診療においても、患者さん一人ひとりのウェルビーイングを意識して、病気を治すだけでなく、幸せな気持ちでクリニックを後にしてもらうように心がけています。

以上です。

参考図書
むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました: 日本文化から読み解く幸せのカタチ (2022) 石川善樹/吉田尚記
2023.01.13 09:40 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 健康一口メモ

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